最新の記事一覧 | さいたま市・川口市の不動産のことなら藤島住宅

藤島友の会

最新の記事一覧 | さいたま市・川口市の不動産のことなら藤島住宅

ブログ

  • マイホームというアルバムの1ページ

    2020-12-01

    「なんか、コツコツ住宅ローンの返済してるんだよね。」

     

    仕事場からマイホームに帰ってきた私。

    その日の息子の様子を話す妻の言葉に私は一瞬、耳を疑った。

     

    「え?!どういうこと?」

    息子はまだ6歳である。

    名前を聞き違えた感じはなかったので、「住宅ローン」以外の言葉を聞き違えたのだと思った。

    それにしたって、「住宅ローン」と「6歳の息子」は、先刻の短い文脈の中で到底結びつかない。

     

    答えは簡単であった。

     

    「あつまれ どうぶつの森」

    なるほど。

    そんな要素もあるのか、このゲームは。

    息子は、住宅ローンを返済して新しい家を造りたいらしい。

     

    そういえば以前、

    夜中に喉が渇いた私が二階の寝室から一階に降りてリビングにある冷蔵庫の水を飲もうとした時のことだった。

    ぼんやりと液晶モニターの明かりが目の端に浮かび上がった。

    妻が「あつ森」をプレイしていた。

    日中、息子に「ゲームやり過ぎ!」とあんなに怒っていたのに。

     

    モニターの中の彼女のアバターは、海で素潜りをして魚を採っていた。

    夜中に、ゲームの世界で、何度も何度も海に潜り、コツコツ海産物を採集している妻の後ろ姿が無性に可笑しかった。

     

    息子の誕生日に買った「Nintendo Switch」。

    コロナ需要で少し高い値段で買ったけど、妻も息子も喜んでいる。

    次は私の好きな「ルイージマンション」のソフトを買って、夜な夜な息子と遊びたいものだ。

    まあそんなこと、妻が許すはずもないけどね。

     


    テーマ名 その他

    ページ作成日 2020-12-01

  • 何かが見える・・・分かりますか?

    2020-11-10

    こんにちは。藤島住宅の船渡川です。

    今日は、私がブログを更新します。

     

    今日11月10日(火)は、毎週恒例の「現場清掃」の日です!

    ・・・何も特別なことはなく、毎週行っている現場のチェックを兼ねた清掃を実施する日ですw

     

    今日は良い天気だったこともあり、清掃も楽しく行うことが出来ました。

    そんな清掃活動の様子を、写真と共にご紹介いたします!

     

    まずはコチラ!

     

     

     

    窓の拭き掃除をする岩原さん髙木さんです!

    一心不乱に窓を拭いていますね。

     

    二人で並んで窓を拭く光景は、仲の良さを象徴している・・・と思います!

     

    まぁ、実際はみんな仲が良いんですけどねw

     

     

    次はコチラ!

     

     

     

     

    ベランダの手すりを掃除する大目さんです!

    こちらも、やはり一心不乱に拭き掃除中です!w

     

    元和菓子職人だった大目さんは、こういう作業にも職人のようなこだわりを見せる!

    そんな風に見える・・・気がしませんか?w

     

    ちなみに、大目さんが一人で清掃しているのは、決して嫌われているから・・・ではありませんw

    たまたま一人だったんです!ホントです!(◎_◎;)

     

     

    毎週、建物が完成している物件はモップがけ・雑巾がけを行い、週末の現地見学会の開催やお客様のご案内に備えて清掃をします。

    この活動は、私が藤島住宅に入社した時(14年前)からすでに行っていた活動です。

    こういった地道な活動ではありますが、少しでもお客様に気持ちよくご見学をしていただけるように、毎週行っているんです。

     

    ちなみに、2枚目の写真に"とあるもの"が写っているんです・・・。

    みなさん、分かりますか?

     

    じっくりとご覧になってみてください!

    答えは、⇩にズームして撮影した写真を載せています。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    "富士山"が見えているのが分かりますか?

     

    この物件は、『パークファミリア東川口(第31期大門)』のベランダから撮影しています。

    この物件からは、なんと富士山が見えるんです!

    ※ちょっと雲がかかって見えにくいのですが、ご了承ください・・・><;

     

    撮影した時刻は、午前11時ごろでした。

    この時間でも、まだこれだけ富士山の姿が見ることが出来ます。

    つまり、早朝であればもっとキレイに見えるんです!

     

    埼玉県南部でも高台にいくと見ることが出来る富士山が、なんと家のベランダから見れちゃうんです!

    この物件のある「さいたま市緑区大門」のエリアが、それだけ高台に位置しているということが分かっていただける一枚じゃないかな、と思います。

     

    この冬の時期だからこそ見ることのできる風景を、ぜひ皆さんもご覧にいらっしゃってください!

    当物件に関する情報は、下記リンク先となります特設サイトをご参照ください。

     

    ⇩パークファミリア東川口(第31期大門)特設ページはコチラ⇩

     特設ページへ

     

    今週末も、現地見学会を開催いたします。

    お気軽にご見学希望のお問い合わせください。

     

     

    藤島住宅 船渡川 恭央

    ※アンダーバー付きの人名部分は、HPに掲載している自己紹介へのリンクとなっています。

     


    テーマ名 物件情報

    ページ作成日 2020-11-10

  • 椿と花水木

    2020-10-27

    根市が担当です。

     

    幻冬舎から出版されている「椿と花水木」は中浜万次郎の生涯を書いた本です。

    ジョン万次郎という呼び名が一般的ですが、日本名は中浜万次郎、アメリカではジョン・マンと呼ばれていました。

     

    万次郎といえば、大抵の人は名前は聞いたことあるけど、詳しくは知らない人の方が多いのではないでしょうか?私もその一人で、時代もののドラマなどで名前は聞くけど、主人公として取り上げられた作品は少ないのではないかと思います。

     

    万次郎の生涯を簡単にお話しすると、「漁船が難破し、アメリカの捕鯨船に保護され、その船長の養子となり、アメリカで航海術などを学び、日本とアメリカの交流に影響を与えた人物」です。

     

    当時の日本は鎖国の真っただ中で、万次郎のように外国船に助けられたと帰国すれば、外国人と無断で接触したと処刑されることもあったそうです。

    そんな国に近づけないと万次郎達を助けたアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号の船長ウィリアム・ホイットフィールドは、航海を続けながら他の方法を考えようと提案します。

    結局、万次郎達は帰国するのに10年の月日をアメリカで過ごすことになりますが、この10年が万次郎の人生を大きく変えることとなります。

     

    万次郎の素直な性格を気に入って、ウィリアム・ホイットフィールドは英語を教えます。そして、アメリカでは養子として迎えることになり、学問や礼儀を教え、本当の我が子のように育ててくれました。

    ちなみに、アメリカでのジョン・マンという名前は、捕鯨船のジョン・ハウランド号から名づけられました。

     

     

    万次郎には生涯に4人の奥さんがいます。

    その中でも特に愛していたのは最初の奥さん、キャサリンだと思います。アメリカで孤独を感じる万次郎を支え続け、学校を卒業後、航海士として船に乗ることが決まった万次郎と結婚し、出航まで仲睦まじい様子が本作中にも書かれています。

    しかし、航海から3年後(捕鯨船は一度航海に出ると3年は戻ることはないそうです)、苦難を乗り越えて帰ってきた万次郎に待ち受けていたのは、キャサリンの死でした。

    ※私も読んでいて一番衝撃を受けたシーンでした。ちなみに、キャサリンと二人目の奥さん鉄は不運な死を遂げています。

     

     

    キャサリンの死をきっかけに日本へ帰国することを決意した万次郎は、沖縄から現在の高知県土佐清水市へ向かうことにします。

    それからは、外国人と対等に話せる日本人として幕府から指令を受け、ペリーとの交渉に携わったり、遣米使節団の一員として、勝海舟や福沢諭吉等とともに再度アメリカへ上陸することになります。

    ただ、幕府内では万次郎を最後までスパイだと疑っていた者も多く、刺客からも狙われることもあったそうです。

    日本の開国に大きく貢献し、アメリカとの貿易交渉も対等に交渉できたのは万次郎のおかげだったと思います。もしも、日本が鎖国を続ける道を選び、アメリカ船からの攻撃を受けていたのなら歴史は変わっていたのかも知れません。


    テーマ名 その他

    ページ作成日 2020-10-27







メニュー