哀愁の街に日高屋が来るのだ。 | さいたま市・川口市の不動産のことなら藤島住宅

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  • 哀愁の街に日高屋が来るのだ。

    2021-03-12

    私の最近の休日の過ごし方というと、中心になるのは息子の幼稚園の送り迎えである。

    息子が通う幼稚園は私の自宅から車で30分くらいかかる。

    遠いのである。

    当初私は、遠方の幼稚園については、いざという時に困りそうだということで、反対したのだが、妻の押し(推し)が想像以上に強く、また私としても幼稚園の教育方針へのリスペクトもあったので、入園を受け入れたのであった。

    「送り迎えはしないよ。」と当初、非協力的な態度でいた私であったが、実際はそういうわけにはいかず、今では毎週の送迎がルーティンワークのような心地よさを醸し、むしろ楽しみにしているくらいの状況だ。

     

    その日の「迎え」は、息子達園児の絵が展示されているという岩槻駅の「ワッツ」という商業施設へ家族みんなで見に行こうということになっていた。

    そのイベントには、息子が入園する前に行ったことがあったのだが、息子が通う幼稚園児の絵が他の幼稚園児のその絵に比べて圧倒的にインパクトがあったことを覚えていた。

    特別に上手ということではないのだが、絵の存在感が他を圧倒していた。

    当時私は、その絵に何か特別なものを感じ、その幼稚園で育つ息子に期待感を持ったことを覚えている。

    ところが、今回の絵はテーマが「ひな祭り」で、他の幼稚園のものは、あらかじめ折り紙で模られたお内裏様とお雛様の「顔の部分」だけを描いているような状況で、一から全てを自分たちで描いている息子たちの絵と比較することが出来ず、あまり興味を持てない状況で残念だった。

    しかしその時、私にとっての大きなイベントとなる出来事の前兆が起こり始めていたのであった。

    絵を見た後で、「ワッツ」の屋内にあった「日高屋」で「ご飯が食べたい」と息子が希望していたのだが、まだ時間が早いということで却下したことが始まりであった。

    そのことに私は心残りを感じていた。

     

    「今日の晩御飯どうする?」

    帰りの車中、運転する私に妻が尋ねる。

    毎週決まって妻は同じことを私に訊く。

    それはそうだ。

    毎日ご飯のメユーを考えるのはさぞかし大変だろう。

    「外食するか!」と私。

    「外食ならラーメン食べたい」と妻。

     

    さっきの息子の一言が妻にも効いているのだろうか。

    「ラーメンなら、日高屋がいいなあ」私は妻に訴える。

    しかし、我が家から比較的行きやすかった「緑区太田窪店」は無くなってしまっている。

    「越谷方面にありそうじゃない?」と日高屋押しの私。

    「越谷かあ・・」

    私が酒を呑むため、帰りの慣れない運転コースを気にする妻。

     

    「日高屋、東川口にあるけど。」

     

    スマホを見ながら妻が言った。

    東川口駅は我が家の最寄り駅。

    それは私にとって本当に「ビッグニュース」なのであった。

     

    昭和の懐かしい風合いを残し、税込み安価設定かつ豊富なメニュー。

    私が飯屋について語るときは、必ずその名が登場する日高屋。

    前身の来々軒でバイトしてたこともある。

    父と呑んだ日の「締め」は、「北浦和店」のラーメンと生ビール。

    「I ♡ 日高屋」なのである。

     

    本当に、東川口にやって来たのだろうか。あの「日高屋」が。

     

    赤信号で停止した時、妻のスマホをのぞき込む。

    どうやら本当らしい。

     

    「もう、行こう、今から行って夕飯にしよう。」

    夕飯というにはまだまだ早い時間であったが、

    変性意識状態に入った私は、瞬く間に妻を懐柔した。

     

    生ビール290円、サワー系も290円、ホッピーセット!400円。

    もちろん全て税込み価格。

    「サイコー、サイコー」

    幾度となく私は呟きながら、やってきた店員さんにご機嫌に注文を繰り出す。

    「注文はタッチパネルでお願いします。」と少し困っている店員さんも、私の上機嫌の前に笑顔がこぼれる。

    幸せだ。

     

    その後、カラオケに行って家族で歌合戦。

    本当に楽しい一日となった。

    緊急事態宣言下だったので、時間帯的にも丁度良かった。

    日高屋を好きだったからこそ、こんなに楽しくなれた。

    日高屋は永久に不滅です。

     

    息子の送り迎えから始まった楽しい一日の思い出だったのだが、そんな送り迎えも昨日の休日をもって終了。

    最期の帰り道では、後部座席でいつものように息子はipadでゲームやYouTube干渉に興じており、私はというと「運転手」という職務を全うした現役最後の運転手のような哀愁を背中に漂わせながら、いつもと変わらぬ風景に溶け込んでいる様をcoolに感じながら、ハンドルをプロっぽく丁寧に回したりして、これ以上無いほどに平凡な「幸せ」を感じていたのであった。了

     

    藤島住宅 岩原 賢太郎


    テーマ名 その他

    ページ作成日 2021-03-12







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