椿と花水木 | さいたま市・川口市の不動産のことなら藤島住宅

藤島友の会

椿と花水木 | さいたま市・川口市の不動産のことなら藤島住宅

ブログ

  • 椿と花水木

    2020-10-27

    根市が担当です。

     

    幻冬舎から出版されている「椿と花水木」は中浜万次郎の生涯を書いた本です。

    ジョン万次郎という呼び名が一般的ですが、日本名は中浜万次郎、アメリカではジョン・マンと呼ばれていました。

     

    万次郎といえば、大抵の人は名前は聞いたことあるけど、詳しくは知らない人の方が多いのではないでしょうか?私もその一人で、時代もののドラマなどで名前は聞くけど、主人公として取り上げられた作品は少ないのではないかと思います。

     

    万次郎の生涯を簡単にお話しすると、「漁船が難破し、アメリカの捕鯨船に保護され、その船長の養子となり、アメリカで航海術などを学び、日本とアメリカの交流に影響を与えた人物」です。

     

    当時の日本は鎖国の真っただ中で、万次郎のように外国船に助けられたと帰国すれば、外国人と無断で接触したと処刑されることもあったそうです。

    そんな国に近づけないと万次郎達を助けたアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号の船長ウィリアム・ホイットフィールドは、航海を続けながら他の方法を考えようと提案します。

    結局、万次郎達は帰国するのに10年の月日をアメリカで過ごすことになりますが、この10年が万次郎の人生を大きく変えることとなります。

     

    万次郎の素直な性格を気に入って、ウィリアム・ホイットフィールドは英語を教えます。そして、アメリカでは養子として迎えることになり、学問や礼儀を教え、本当の我が子のように育ててくれました。

    ちなみに、アメリカでのジョン・マンという名前は、捕鯨船のジョン・ハウランド号から名づけられました。

     

     

    万次郎には生涯に4人の奥さんがいます。

    その中でも特に愛していたのは最初の奥さん、キャサリンだと思います。アメリカで孤独を感じる万次郎を支え続け、学校を卒業後、航海士として船に乗ることが決まった万次郎と結婚し、出航まで仲睦まじい様子が本作中にも書かれています。

    しかし、航海から3年後(捕鯨船は一度航海に出ると3年は戻ることはないそうです)、苦難を乗り越えて帰ってきた万次郎に待ち受けていたのは、キャサリンの死でした。

    ※私も読んでいて一番衝撃を受けたシーンでした。ちなみに、キャサリンと二人目の奥さん鉄は不運な死を遂げています。

     

     

    キャサリンの死をきっかけに日本へ帰国することを決意した万次郎は、沖縄から現在の高知県土佐清水市へ向かうことにします。

    それからは、外国人と対等に話せる日本人として幕府から指令を受け、ペリーとの交渉に携わったり、遣米使節団の一員として、勝海舟や福沢諭吉等とともに再度アメリカへ上陸することになります。

    ただ、幕府内では万次郎を最後までスパイだと疑っていた者も多く、刺客からも狙われることもあったそうです。

    日本の開国に大きく貢献し、アメリカとの貿易交渉も対等に交渉できたのは万次郎のおかげだったと思います。もしも、日本が鎖国を続ける道を選び、アメリカ船からの攻撃を受けていたのなら歴史は変わっていたのかも知れません。


    テーマ名 その他

    ページ作成日 2020-10-27







メニュー